いろんなスタンスをお持ちの方を意識した書き方にはなっておりません。
もしかすると不快に思う方がいる内容があるかもしれません。
あらかじめお断りしておきます。
単刀直入に、説明責任を果たせと言わんばかりのプログラムだと思いました。
この方が、言葉で説明するのが下手なのは、皆さんもうお気づきですよね?
まずは、この方が持つ世界観を知ったうえで、話を聞かないと、 何を言っても無駄ということになる気がします。
今の時代、多様性という名のもとに、画一的な意見を伝えるのは、 よしとされない空気があると思います。
この方が育った文化背景を考えると、戦後当時は、まだまだ色濃く集団の中で、
人を育てる文化があったと想像します。
今は、近所の子どもに話しかけるのも憚られる時代ですが、
当時は、子供はみんなで育てるそういう常識だったんじゃないかと。
そのうえで、社会的に上下関係がはっきりしていて、生活環境は自由は少なかったんじゃないですかね。
そういう環境だと、いやでも善悪の判断ははっきりとしてくると思います。
(ここでは集団で共有されている価値基準とします、その価値基準の良し悪しは考えません)
一方で、今の社会は、良くも悪くも自由。何をするのも自由。
穿った見方かもしれないが、都合が悪ければ、集団の論理と異なる論理を持ち出して、
そもそもそういう考え方自体がおかしいんじゃないかと責める人もいる。
合わないからと逃げる人もいる。
当然、昔もそういう人もいたと思うが、きっと、出ていくやつは
ちょっと変わったやつだったよと言われていた気がする。
そういう環境で育った子どもは、いろんな思考が錯綜してしまい、
自分で決める力が弱いと、あまりに多くの情報や考え方の中で、
混乱してしまい、疎外感を感じやすいじゃないか。
昔なら、子どもの頃にみっちりと躾けられて、
周りの人となんとなくうまくやれていたけど、
今は気づいたら大人になっていて、何が正解かもわからず、
確固たる信念も持てずに、なんとなく生きている。
そういう人もひょっとして多いんじゃないかと思っています。
戸塚さんの考えは、
集団の中の一員として行動の善悪を伝えるには、 よくないことをすると必ず大人が叱ってくれる環境があり、 それを伝える手段としての体罰は、状況次第ではありなんじゃないかと思えてきました。
ですので、個人主義を声高に言われる方には、何を言っても通じないと思います。
誰かが言っていましたが、面倒をみてもらった、あの時は世話になったと思ってもらうことが、一種の成功の形なんだと思います。
ひとまず大人がきちんと決まりきった環境を用意してあげて、
そこで正しいとされる行動を身につけることができる。
その中でだんだんと叱られる回数が減ってくる。自信がだんだんとついてくる。自分で考えて行動できるようになる。
今の時代、そこまで時間をかけて面倒を見てあげられる大人が、
自分の家族以外にどれだけいるでしょうか。
もちろん、大人側に余裕がない、子どもの健全な成長は、親の教育次第など
いろんな要素はあると思うので、一概には言えません。
この文章だけだと、多くの批判をいただきそうなので、 あくまで私個人の感想として、
捉えてほしいです。
視聴した動画URL:[【戸塚ヨットスクール】「体罰は善」](https://youtu.be/xjY30O3ZT5c?si=KHzaUvwiOqdsrZO9)